エイミー・リプトロット著書の「The Outrun」を原作にした、この映画の主人公は29歳の学生、アルコール依存症、エイミー自身。
ロンドンでの奔放な薬と酒漬けの生活の末に、生まれたオークニーへと帰郷し、そこでの生活が描かれる中に挿入される、悲痛な経験の回顧。
数々の失敗と無くしたもの、壊れていくものを、あまりにもリアルに演じるもんだから、目を逸らしたくなる瞬間も多々ある映画でした。
すごく良い映画でした。原作の本も読むことにしました。
映画のストーリーの筋はネタバレしませんが、どんなシーンがあったかを語りたいので、ネタバレ注意としておきます。
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主人公以外のキャラクターが映画の中で担う役割
若い子が大きな街に移り住んで、大学でお酒と遊びが楽しくなるなんて、普遍的すぎることじゃないですか。振り返れば多くの大人が「そんな時期もあったな」と言うような、楽しい過去の思い出になるだけのはずのことが、どうして、依存症に。どうして、一緒に遊んだ友人や、恋人を置いてけぼりにして、一人行き過ぎてしまったのか。
この疑問への答えは、映画では語られませんでしたが、主人公の父親の双極性障害と疲弊して宗教に傾倒している母親の描写が、家族との関係を、あたたかく迎え、支えてくれる存在としてだけではなく「アルコール依存症になりやすい人」のプロファイルとしての説明補填になっているようでした。
躁状態時の父親の、常軌を逸した行動を見ながら育って、知らず知らずに極端な行動に対する許容が上がってしまったのでしょうか。自分の中の乱暴に振る舞うことへのハードルが下がって、度を越して酔っ払ってもいても、これくらいは酔っ払っていたら、こんなもん。と思ってブレーキを掛けられなくなってしまう。
主人公の記憶ごしに、我々観客に見させられる父親の躁のシーンから、急に、一人の女性の回復ストーリーが、リアルな奮闘記録に感じられたのです。もともと、そう謳っていた映画なのですが。
依存症への解像度の高さ。
家族の背景を知らされることで、お酒の失敗を繰り返す主人公のロンドンでの壊れた生活を回想するシーンが全部違って見えました。
ドラマチックで演技派でいいなあ、と思っていたのから、共感性羞恥心が湧いて目を細めたくなったり、選択してほしくない方向へ行動するではないかと、固唾をのむ。
一筋縄の綺麗事の物語じゃないから、あんな目にあってこんな事になって、ここで、回復して希望を見せてほしいというところで、またやらかす。
主人公はもちろんのこと、友人の気持ちを思ってみたり、恋人の気持ちを思ってみたり、突然精神的に騒がしくさせられる映画になったんです。
恋人役が主人公を、こいつやばいって顔で見つめる演技すごかったです。すごい目の演技でした。ここで、こうやらかすと、こんな目で見られるのか。
主人公の葛藤や失敗、発言が、映画の進行とともに、どんどんリアルになって、胸が痛くなりました。
もっとも胸を痛くさせたセリフ。
「お酒を飲むと幸せ」の反証である以上に、主人公が発した言葉「シラフでは幸せになれない」の、絶望感は強い。これは、セリフなんでしょうか。セリフかもしれないけど、こんなふうに本当に思っていたんだろうな、と原作の本への興味も強くなりました。
さらには、他のアルコール依存から「脱した」男性の12年禁酒しているってセリフで、希望よりも絶望を抱かされたのは、私が禁煙してからまだたった3年だからか。心いじめられる準備できてなかったんですけど。
キャラクターデザインとロケーション
オークニーの実家に帰ってきた生活と、ロンドンでの生活の回想のうち、惰性・転落・葛藤のそれぞれの話が時系列を交差させながら、演じられます。その時、主人公髪の色が、タイムラインをめちゃくちゃにする演出の中で、助け舟に。ちょっとチーキーかなとは思ったけど、ピンク 青 オレンジ それぞれの色も表現してるものと、(個人的には)マッチしている気がして、おしゃれな映画だなと思いました。
オークニーの冬という、演出無しに過酷で、物悲しい舞台。映画には美しさと荘厳さ、も散りばめられているけど、それを差し置いて、過酷さが全面に押し出されているな。というのが私の感想。スコットランドに住む人間として、いつか絶対訪れたいと思っていた場所だけど、冬はやめとこ。と素直にメッセージを受け取りました。
映画では多くを語られなかったドラッグの依存症についても興味が湧いたし、オークニーでの生活ももっと知りたい、何より、この映画で描かれた最後より少し先も知りたい、本を買うことにします。
The Outrun : 原作本
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